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麻生の歴史と変遷
その1 > その2 > その3 >

明治開拓期から

<琴似川とともに>

麻生にあたる地域は琴似川がひときわ複雑に曲流し、篠路方面へ方向転換する中流部に位置していた。
明治19年、現在の麻生地点から茨戸へ延長された創成川の前身・琴似新川と、同19~22年に掘られた人工河川・新川によって分断されるまで、琴似川は、琴似、篠路を経て石狩湾低地帯を貫流する大型河川のひとつだった。
現在は所々で姿を消しつつあり、篠路・竜雲寺で伏籠川に注ぐ旧下流部は旧琴似川と呼ばれている。
先史時代の遺跡が琴似川沿岸に集中していることから、開拓以前の麻生の歴史も、琴似川と共にあったと言えるだろう。
現在の麻生が三角形に仕切られたルーツは、明治19年、新琴似屯田兵の入植に先だって、茨戸街道とそれに直交する新屯田道路(新琴似4番通)の2本が新設されたことによる。
すでに明治3年、創成川の前身である寺尾堀が麻生まで延びてきており、この道路2本と寺尾堀によって、札幌区(札幌市の前身)と石狩川の茨戸を結ぶ中間地点に三角地帯が形成された。
これが麻生の原形となる区画である。この底辺をJR函館本線まで南下させた大きな三角地帯は、かつての琴似川流域そのものであった。
明治17年に郡区町村編成法による札幌区が設けられた際、その境界が琴似川と定められ、現在の麻生地域は琴似村の一部とされていた新琴似を離れて札幌区に含まれることになった。
明治43年4月には再び琴似村に返還されるが、このときの境界線は、北27条までを琴似村字新琴似とし、昭和30年に改めて札幌市と合併するまで続いた。札幌市側から見て北26条以南の西の境界線は、依然として琴似川である。

▼下記の図をクリックすると拡大表示します。

「札幌のアイヌ地名を尋ねて」山田秀三著から

「札幌のアイヌ地名を尋ねて」山田秀三著から

大正5年頃の麻生

大正5年頃の麻生
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